父が亡くなって2年がたった。
そのころに書いた「知床の赤い橋」の記事が友人たちの目にとまり、たくさんのありがたいメールを頂いた。
特に札幌の悪友(有名なダムを造ったそうな、、、)は、この話を読んで「同じ技術者としてジーンときた」と言って、「仕事で行くときには探す!」と鼻息あらく、、、笑。
結局今年の出張の合間には探せなかったようだけど、まことにありがたい話だ。
でもねゴン、そのころ営林署で父と一緒に働いていた人は、きっともう誰もいないと思うよ。
探すのは難しいんじゃない???
■写真:野の花ちーちゃんご夫妻から頂いた知床の写真。
そうこうしていた今年の夏、福岡から北海道に旅行に行かれた3組のご夫婦が、知床の観光船に乗った時に、知床連山にかかるその赤い橋を探してくれたのだ、涙。
野の花シスターズからのメールは、彼女たちご夫妻が船に乗ったその夜私の元に届いた。
「真っ赤じゃなかったとよ~。でも、赤が錆びたような色の橋が見えたから、たぶんそれと思って、写真は撮ってきたよ~。」
なんということ。。。感激。。。大泣。
今回、その写真のデータを頂きにご自宅に伺った。
橋が一番わかりやすかったこの写真は、たぶん連山の「オッカパケ」と「硫黄山」の間の麓だろうと思われる。

■遠くにサシルイ見える■
高校生の時に、何度となく歩いたホームグラウンド知床連山、そこに父がかけた赤い橋がやっぱりあった。

■拡大したら、錆び色の橋がなんとか見えた■
一般の人が入れない場所に、何十年もひっそりと架かっていた赤い橋。
私の記憶の中の真っ赤な橋は、年月を経て渋い錆び色に変わっていた。
でもきっとその橋が父の橋だと思う、そう思いたい。
母は言った。
「橋を見に行ったとき、定礎のところに施工者の名前が書かれててね、お父さんの名前も刻まれていたんだよ。」
そのころ営林署の職員だった父の名前が、橋に刻まれているはずはないと思いつつ、でも、仕事と称して知床の奥深く入れる友人ゴンが、いつか足で橋を見つけ出し、父の名前を写真に撮ってきてくれたら、、、ちょっとそんな期待もしてしまうほど、この一枚の写真は私にとって大きな大きな一枚になった。
ちーちゃん、おねえさんご夫妻、そしてご友人のご夫妻、本当にありがとうございました。
この写真、大切に大切にさせていただきます。
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