夜間救急で以前書いた「救急車に乗った!」の記事の時には、私にも多少の余裕があった。
しかし今回は、、、。

そう、KENはまたしても救急車に乗った!
それは昨年の秋のこと、KENは急に始まった夜勤のシフトに苦しんでいた。
生産量を上げるために機械を24時間体制で動かしたいと考えた会社は、その機械を動かす職員に、新たに三直二交代というシフトを組んだのだ。
製造業では珍しくない勤務体制らしい。
、、、しかし、私は納得していなかった。

「いったい何のために九州にきたのよっ!これなら、東京で高い給料もらってたほうがよかったじゃないのっ!」

■写真上:救急病院についてすぐ点滴と痛み止めの座薬。
■写真下:点滴が終わりそうになるといつものピース。
これが猛烈に頭にくるんだよねっ!


・・・・・・・・・・・・・
仕事はなんでも大変だよ。
そんなこと私だって十分に分かってるよ。
でもね、休みの日にまで電話がかかってきて、二週間三週間休みなしで働いたこと何度もあったでしょ?

おまけに三直二交代?
ふんっ!毎日一日12時間働いて、二日のお休みなんて夜から昼、昼から夜に体を戻すための日でしょ、どこかに出かけてリフレッシュするなんて体力も気力も、どっこにも残ってないじゃないの!

今の会社、採用のときに「夜勤はしませんよ」というKENからの条件があっても、それでもKENを雇ったんじゃないのっ?
約束が違うでしょっ!約束がっ!
それに、その労働に見合う収入ならまだしも、自分で納得いく給料じゃないんでしょ?
なら、やめちゃえばっ!
・・・・・・・・・・・・・

 
いつもヘラヘラ笑いで私の攻撃をかわすKENだが、この話題に関しては違っていた。
ただただ、黙って私の愚痴や文句を聞いている。
私の話とは関係なく、すでに口に出せないほど強い会社への不信感を持っていたのだ。
それでも、人一倍責任感が強い彼は、そう簡単に今の仕事を放り出すわけにいかないと考えているようだった。

 
私たち夫婦の危機は、こうしてじわじわとやってきた。。。

2007年7月18日、夜勤最後の日、午後6時。
私は、その日KENが夜中に食べるお弁当を作っていた。
そろそろ起こす時間かなと思った時、KENが寝室から二階のトイレに駆け込み、激しく嘔吐する音が聞こえた。

急いで行ってみると、「痛い。。。」と頭を抱え涙を浮かべている。
頭を冷やししばらく様子をみてみても、またも嘔吐、そしてひどい頭痛を訴える。

これは、、、。「クモ膜下出血」の文字が頭をよぎる。
それを否定してもらいたくて医療従事者の友人に電話をしたが、「すぐに救急病院でCTを撮ってもらったほうがいい。」という返事。

最初からそうすればよかった。
はじめから119に連絡をして救急車を呼んでいればよかった。
駆けつけた救急隊員の顔色をみながら、私は激しく後悔していた。
本当に脳内出血だったら、もう間に合わないかもしれない。

KENを乗せた救急車は、以前腎結石の時にお世話になった救急病院に向かっていた。
病院では、私の電話で駆けつけたryoさんが待っていてくれた。
嘔吐対策の点滴と痛み止めの座薬を入れてもらっていくぶん楽になったKENの横で、CTの結果を見た救急の先生は私に「CTでは脳内出血は見られません。」と言った。
安堵感で、足がふにゃふにゃになりそうだった。

「偏頭痛の可能性が高いですね。でも明日専門の先生に詳しく診てもらいましょう。」
偏頭痛???
私もよくなる偏頭痛?それで救急車呼んじゃったの?

私の顔に現れたその疑問に答えて先生は、「偏頭痛をばかにしてはいけません。麻痺が残る場合もあるんですよ。症状からみて脳内出血の可能性があったのですから、救急車を呼んだのは間違いではありません。」
あ、そうですか、、、。

ずっとついてくれていたryoさんに、ちゃんと立って歩けるようになったKENと二人で深ぶかと頭を下げ、二人揃って笑って夜を過ごせることに感謝しつつ帰宅。

 
話はここで終わらない。
問題はそのあと、翌日の検査から始まる。

昨夜の症状がなくなったKENは、翌日の夕方、専門のドクターにCTの結果を見てもらうために病院へ行き、その場で「髄液検査:ルンバール」を受けた。

脳内にCTでは分からないわずかな出血があれば、その検査でひっかかる。
KENの昨晩の症状がひどかったからか、先生は「念のために。」と言って検査したのだそうだ。

結果は「白」!
一人で帰ってきたKENは、安心と検査の疲れがあってその夜早々に就寝した。
翌朝、なかなか起きてこないKENを起こしに寝室に入ると、「頭上げると痛いっ!」といって、ヤモリのようにベッドに張り付いているKENがいた。

後から知ったのだが、これは、腰から採取した量分の髄液圧が減圧し、頭を立てるとその分下に髄液が下がり、頚椎に引っ張られるような激痛が走る「低髄液圧症候群」という症状なのだそうだ。
ルンバールを受けた10人から20人にひとりの割合でおきるらしい。

KENが救急車を呼ぶのを断固拒否するので、昨晩もお世話になったryoさんに大きめの車を出してもらい、横になったまま救急病院へ。
KENはそれから約一週間入院し、前半はベッドで頭を立てることなく生活した。
毎日点滴を2本づつ打ったが、それは水分補給のためだけで、結局は採取した分の髄液を自分で作り出して前の状態に戻すまではどうにもしようがないということだった。

それでも入院後半には個室から大部屋に移り、そのころからはベッドを少しづつ立てて過ごせるようになった。
「もうちょっとあとちょっと、、、」毎日毎日、私は呪文のように繰り返しながら病院へと向かった。

毎日点滴二本

でも私のことだもの、黙って病院に通っていただけでは決してない。
KENが受けた髄液検査は本当に必要だったのか、事前にきちんと説明はなされたのか、そもそも「低髄液圧症候群」とはなんなのか、調べに調べてその結果を、病棟の医長の回診時にながながと物申したのだ。
医長からは、「低髄液圧症候群」自体がドクターたちに十分に認知されていないということ、ルンバール前に外来で十分な説明があったかというとそれは難しい、という話があった。

私は、そもそもルンバールをするのであれば、家族を呼んできちんとその必要性を説明すべきだということ、検査後KENのような症状が出る可能性があるということを紙一枚ではなく、本人が理解するに足るだけ十分に説明すべきだと力説した。

 
私が勤めていた病院での経験上、病院とは「決して謝らない体質」を持っていると思っていた。
しかし、回診後すぐに病棟の担当看護師がやって来て、もう一度詳しく話を聞いてくれ、「必ず外来に伝えます。この度は説明が足りず申し訳ありませんでした。」と頭を下げてくれた。

私たちはそれだけで十分だった。
そして一週間後、ゆっくりゆっくり歩くKENと一緒に病院をあとにした。

KENは退院後、会社に退職届けを提出した。
それを一番喜んでいるのは私。
人間らしく生きるためには、給料だけでなく、働く時間や職場環境をもっとちゃんと選ぶべきだと思う。
人を人として認め尊重する上司がいて、会社のためにともに働ける仲間がいる職場じゃなくちゃ。
そんな風に思える魅力ある会社じゃなくちゃ。

でも、次の職場が100パーセントいい会社じゃなくてもいい。
私はただ、KENが笑顔で家に帰ってくることだけを望んでいる。
大事にされていたあの東京の会社から、「ただいまぁ~。」と帰ってきていた時みたいに。
せっかく九州にきたんだもの、貧乏でも楽しい生活をしようよ!
そうでなきゃ、ここに呼んだもっと西さんが泣いちゃうよ!
ねー、KEN!

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