すずらん私の頭の中は昔から、いつもいつも世の中の流れより10年早い、、、正直言って、みんなが同じ方向を向きたがる日本では、しごく「生きづらい」人間です。

小さい時から「ヘソ曲がり」と言われ、「面倒くさい子」と言われて言われて、言われ続けて育ちました。

たぶん、非常に常識的だった両親から見ると、周りからものすごく外れた「鬼っ子」だったのでしょうね。

でもね、振り返ってみると、、、

その非常識が、10年後20年後には、ちょっとずつちょっとずつ、全くの非常識ってわけでもなくなっていた。。。

例えば、(子供のころの話は辛すぎるので、大人になってからの話→)結婚する時に結納という儀式を断固拒否したこと、形式的な結婚式自体が嫌でいやで仕方なかったこと(最初の結婚の時は譲歩して式に出たけど、再婚の時は式はナシ、笑)、子供のために高くても無農薬野菜や有機野菜を取り寄せていたこと、子供の歯については一歳半から歯医者に通って全面的にケアしていたこと、虫歯にしないために三歳までは甘いお菓子は誕生日とクリスマスだけと決めていたから、普段のおやつはお芋の蒸したものだったこと(笑)、こんなことを考えつつ子育てするから、子供は一人だけでイイと思っていたこと、そして離婚して前の夫に子供を託したこと、そして最後には東京を「卒業」したこと。

本当はまだまだありますが、今だったら、そんなに珍しいことでもないでしょ?
これが20年前、30年前だもの、周りからはかなり厳しい目で見られておりましたよー。

そして本題です。
数年前から私は、世間的に言えば「大変非常識」なことを考えておりました。

つまり、私が死んでもお葬式はして欲しくない、ということ。
他にも、お墓に入りたくない、もっと言えば、大きな病気になってもお金のかかる治療はいっさいして欲しくないといったようなことです。

まだ東京にいる時、ある集まりでお葬式の話になりました。
私は、「仏教徒でもクリスチャンでもないし、こころの底から無宗教、だから亡くなってもお葬式なんてしないで欲しいのよね。」と言いました。
それを聞いた知人が、目を三角にして言ったものです。
お葬式をしないだなんて、いままでお世話になった人に失礼だ、お葬式は残された人のためにするものだ、、、などなど。
言いたかったのはきっと、私が「非常識」だということでしょう。
だいたいにおいて、お酒の席で出す話ではなかったかも知れないし。

でも、たくさんたくさん生きてきて、お年を召した方や自分より年下の人間が亡くなっていくのを見てきたから、生きているうちに、頭がしっかりしているうちに、いろんなことをちゃんとしなければ、死んだ後のことは自分で決めなておかなくちゃ、って思うようになったのです。
残されたものが、葬儀や銀行やその他の手続きや、残された借金なんかで、この先大変な思いをしないですむように。

それに、ヘソ曲がりにはヘソ曲がりなりの美学があるのです。
小学校の入学式から始まって、セレモニーと名のつくものはすべて鳥肌が立つほど嫌いな私ですもの、自分の最後は自分らしくちゃんと自分で決めておきたい!

幸い、私とKENの間には子供がいませんし、私の娘は、前の夫がしっかり育ててくれたので(狙い通り、笑)、無事に成人し今はちゃんと社会人、誕生日に、「手のかかるママだけど、ママの娘でよかったよ。」と手紙をくれたりします。

つまり、今いろいろ考えていることを、KENや娘にさえちゃんと話をしておけば、自分らしくサヨナラしてオッケーでしょう、ってことです。

お世話になった方々には、生きているうちにちゃんと自分の口でお礼をいいたい、頭をさげたい。
死んでからでは遅いから。

そして、最後は自分らしく幕をひきたい。
誰のためでもなく、自分の生きてきた人生のために。

そしてここ数年は、「やっぱり私の考えることって、ちょっと早いのかなぁ。」などと思いつつ、自分なりに準備を始めていました。
いつその日が来るのかは分からないけど、いつ来てもいいように。

そして、、、朝日新聞に、、、エチカの鏡に、、、
って、話がながーくなりそうなので、今回はここまで。
今後このテーマは、引き続きポチポチ書いて行く予定です。
ご興味のある方は、覗いてくださいまし。

その1・・・完!(えらく中途半端だけど、笑)

・・・その2へ  ・・・その3へ  ・・・おまけ

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