玉手箱

| ちょっと独り言 |

玉手箱Keiに荷物を送った日と前後して、実家の母から荷物が送られてきた。

ずっと前に私が染め直しを頼んでいた着物と、父の遺品になった浴衣、それと、私のために父が撮って装丁し、しまってあったという写真。

父が亡くなってからずっと、私はKENの前でも泣かずに生活してきた。
でも、それは自然なことではないのかもしれない。

母から送られてきた荷物をほどいた時、私は父が亡くなって初めて大泣きした。

■写真:父がよく着ていた浴衣と、染め直された私の着物、それから、アパレル関係を目指すという孫娘に着て欲しいと、母がKeiに贈った着物。

玉手箱
■父が私のために撮った写真■

私と実家の父母そして兄とは、いままでずっと、決していい関係ではなかった。
どう表現していいのか分からないが、私が生きていた場所と、父や母が暮らしていた時空が、少しずれていたという感じか、、、。

小さいときから、肉親に自分のことを理解してもらえないもどかしさを、ずっと胸に抱えて成長してきた。
そのまま私は、結婚、離婚、再婚。

普通の親であった両親には、辛いときでも親に頼らずにどんどん突き進む私の行動は、きっと理解しがたいことだったのだろう。
父と母は、私の手紙やFAXなど、私からのコンタクトすべてを無視するようになった。
悲しい事実ではあったが、子供のころからずっと親に愛された実感がなく育った私にとっては、それほど辛いことではなく、かえって「面倒がなくてよかった」と思っていた部分もあったのかもしれない。

でもそれは、やっぱり自分を守るための強がりでしかなかったのか。
私は、母の手で初めて書かれた私の「新姓」を、届いた荷物の上に見た時、数十年ぶりに父と母の愛情を恋しく思った。

ゆりの花弁の写真は、いつも前ばかり見て突き進む私に「たまには足元を見て、ゆっくり生きてごらん」と、父が私に伝えるために撮った写真だという。

最後に会ったとき「達者で暮らせ」と言った父、その父を送ったあと、父が残した「お茶を続けろよ」という言葉を守って、一人でしっかり暮らしている母。
私は今、この両親のことを強く想う。

時が隔てていても、遠く離れていても、私はあなたたち二人の子供なんだから、これからもずっと笑って生きていくよって。

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